ビールの味でビールになれる。 〜ヴァイツェン〜
月に一回の更新を目標にしていた。先月、早くも月一回の更新目標は終わる。そこで、気づいたができなかったのは仕方ない。目標というのを無くせばいい。〝書きたいときに書けばいい〟。
さて、8月に入って猛暑。元来、汗かきの私は夏になるとカバンに一枚のタオルを仕込ませる。打ち合わせへ行く途中でも汗をかき打ち合わせ中も汗をかく。タオルが無ければ打ち合わせもまともにできないのだ。
仕事が終わり、クタクタの疲弊感満載で家につく。冷蔵庫で冷やしてあったキンキンのビールを呑む。この一口のために私は汗だくになりながら働いていたのかと思うことがしばしばある。
「人生、半分損している。」などの比喩表現は好きではないが、ビールを呑めない人は〝人生、半分損している〟と本気で思うときがある。
ビールは本当に不思議なお酒だ。
ウィスキーや日本酒、レモンサワーでないとダメだって日はないが、ビールでないと満たされない日は度々ある。初めて呑んだときは苦いし不味い。こんな、飲み物を誰が呑むんだと思ったビールが今は仕事終わりのビール。休日の昼ごはんと一緒に呑むビール。仕事中にバレるかバレないかの背徳感を楽しむビール。ビール…。ビール…。
あぁ〜ビールが呑みたい。
しかし、不思議だ。30歳まではビールも呑めなかった下戸が今は仕事かえりにビールを買って帰っている。ビールへの憧れはあったけど初めてビールを口に含んだ印象が悪すぎたのか苦手意識しかなかった。
ビールを呑めるようになりたかったからシャンディガフから飲み始めてだんだん、ジンジャエールを薄くビールの味に慣れていこうとチャレンジしてみた。
結論から言うと私には合わなかった。そもそも、ビールとシャンディガフの味が全く違う。徐々にジンジャエールを薄くしたところでビールの苦みが出てきたらその時点で苦手な気持ちになる。
偏にビールといっても100種類以上あると言われている。私もそんなに種類を呑んだことはないが缶コーヒーと違ってビールはスタイルによって味が違う。
49年生きてきて最近確信を持った。
— 田中泰延 (@hironobutnk) January 19, 2019
「どこの店監修だろうが、誰プロデュースだろうが、何製法だろうが、缶コーヒーとカレーパンの味はだいたい同じ」
青年失業家の田中泰延さんがツイートしていた内容だ。言われてみたら缶コーヒーって味の区別がつかないことに気づいた。ちなみに田中泰延さん著書の読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術」は絶賛発売中。私も読んだが家に一冊は置いておきたいしスタッフにも読んでほしい。
田中泰延さんは広告業界におられた方だから、コピーライターさんはもちろんのこと、デザイナー、カメラマン、プランナー営業職の方にも読んでほしいし広告業界以外の業界の方にも読んでほしい一冊。僕も2周目を読み始めている。
さて、ビールの話に戻るが…。ビールはスタイルによって味が違う。日本で有名なビールのスタイルはほとんどがピルスナーなので合わないのなら他のスタイルを呑んでみてはいかがだろうか。私がビールの苦みが苦手だけど、克服したいという方にはドイツビールのヴァイツェンをお勧めしている。
飲みやすいビールで言うとフルーツビールなどがあるが、ビールを克服したいかたにはオススメできない。なぜなら、ビール感がほとんどない。結局、シャンディガフと一緒でビールではない別のお酒になっている。
それに比べヴァイツェンはビールだ。苦みがなくまろやかな味わいのビールだ。私はビールが呑めるけど美味しいとは思わない時期にヴァイツェンだけは美味しいと思って呑んでいた。
苦みもなくクラフトビールでたまに出会う柑橘系の味もしない。(あの柑橘系の味が苦手。)ネットではヴァイツェンはバナナの匂いがすると聞いていたが、私は感じれなかったが味はバナナに近いフルーティな味がほんのり感じれた。
スーパードライやキリンラガービール、プレミアムモルツ、サッポロなどの有名メーカーを呑んで苦手だった人は一度、ヴァイツェンを試してみたはいかがだろう。味がまろやかなのでまだ、ビールの喉越しを楽しめていない人には味から慣れていってほしい。
ビールは不思議なお酒だ。ビールしか満たされない日が私にはある。喉がカラカラで呑んだり、良い一日だったときにビールは格別だ。〝人生、半分損している〟とまではいかないがビールが呑めるようになって私は少し幸福度があがった。
以前、紹介した七本槍と長濱浪漫ビールに一つの共通点がある。それは、滋賀・長浜の酒造メーカーだ。長濱浪漫ビールも七本槍も美味しかった。ビールや日本酒で何を買えば迷ったときは滋賀県長浜市のお酒を買えば外れないと思えるほど美味しいお酒たちに出会えている。
しかし、何度写真をみても色気もない不細工な写真だ。なぜ、ビールに泡がたっていない。それだけが今回、悔いにのこっている。